◆昭和5(1930)年
国産第1号の電気冷蔵庫が製造。販売されました。圧縮機や凝縮機などがキャビネット上に露出したモニタトップ型と呼ばれるもので、当時は「冷蔵器」とも呼ばれていました。「電気冷蔵庫」という呼称が定着してきたのは、昭和10(1935)年頃からです。 |
◆昭和27(1952)年
一般家庭向けの小型冷蔵庫(90L)が発売されました。価格は80,000円前後で、当時のサラリーマンの給料の約10か月分に相当する高価なものでした。この年に、前年に調印されたサンフランシスコ講和条約が発効し、GHQ(連合軍総司令部)が廃止されて日本の主権が回復しました。 |
◆昭和36(1961)年
冷凍食品が保存できるフリーザー付きの冷凍冷蔵庫(冷凍室:約10L、冷蔵室:約80L)が、約60,000円で発売されました。このときは、まだ1ドアタイプで、冷凍室は分離していませんでした。この年、ソビエト(当時)が、世界初の有人宇宙船の打ち上げに成功しました。その時、大気圏外から地球を見た宇宙飛行士、ユーリン・ガガーリン少佐が帰還後に語った「地球は青かった」という言葉は、流行語になりました。 |
◆昭和37(1962)年
冷凍庫にできる霜を自動で取り除く、自動霜取り方式が主流となりました。 |
◆昭和40(1965)年
冷蔵庫の普及率は50%を超えました。この年は、エレキ・ブームとなり「エレキの若大将」が上映され、ファッションでは「アイビールック」が大流行しました。 |
◆昭和44(1969)年
冷凍室を独立させた2ドアタイプの普及が、本格化し始めました。ちなみに、冷凍食品が盛んに開発され始めたのは、昭和39年に開催された東京オリンピック以降です。 |
◆昭和47(1972)年
肉魚専用室付き冷蔵庫の発売に続き、昭和48(1973)年には、野菜保存室が独立した3ドア冷蔵庫が発売されました。この年には、第4次中東戦争が勃発して石油危機を招来。これを受けて、メーカー各社は省電力化を推進し、消費者も省エネタイプに目を向け始めました。 |
この後、冷蔵庫の普及が、ほぼ全戸に1台の時代を迎えるのは、昭和50(1975)年になってからのことです。 |
昭和も50年代に入ると、冷蔵庫は、ほぼ全戸に1台の時代へ。そして庫内を食材別に仕切るタイプが一般的となり、3ドアから6ドアまで商品化されるなど、製品の多様化が進みました。 |
◆昭和51(1976)年
普及率がほぼ100%の時代を迎え、メーカー各社が400L以上の価格を大幅に引き下げたことから、大型の冷蔵庫が普及するようになりました。この年には、沖縄国際海洋博覧会が開催されました。 |
◆昭和54(1979)年
それまで冷蔵庫の背面に露出していた放熱パイプを、背面の内側に付けた内蔵タイプが発売され、背面がスッキリしました。また、「冷蔵室切替え可能の野菜室」など、使い勝手に配慮したタイプも登場しました。 |
◆昭和55(1980)年
適材適冷と省エネに配慮した6ドアタイプが登場しました。また、キッチンサイズに配慮して、壁やシンクにぴったり納まるシステムキッチン対応型や、製氷時間が約30分という直冷式など、差別化を図った機種が発売されました。 |
◆昭和57(1982)年
冷凍食品時代のニーズを取り入れた解凍室付き冷蔵庫が登場しました。この年は、6月に東北新幹線が、11月には上越新幹線が相次いで開通しました。このときの発着駅は、まだ埼玉県の大宮駅で、上野駅になったのはその3年後の昭和60年、さらに東京駅になったのは平成3年のことです。 |
◆昭和58(1983)年
食品を凍らせないで長持ちさせる0~3℃の新温度帯室採用の3ドアタイプが、昭和59(1984)年冷凍能力を高め、食品を素早く凍結するインバーター冷蔵庫がそれぞれ発売されました。この年は、ヒット商品に共通した特徴の「軽い。薄い。短い。小さい」を表わす「軽薄短小」が、流行語となりました。 |
◆昭和61(1986)年
野菜室に調湿機構を採用した高温野菜室付きが、翌年の昭和62(1987)年には、脱臭装置内蔵の機種が発売されました。 |
◆昭和63(1988)年
観音開きのドアを採用した大型400L5ドア冷凍冷蔵庫が発売されました。また、今では当たり前になった自動製氷機能付きの冷蔵庫が発売されたのも、この年でした。 |
このように、昭和の冷蔵庫は急速に技術が進み、食品の保存だけではなく、製氷。脱臭、ライフスタイルまで配慮されたものでした。その後、平成の時代になると、新たな視点から技術を競い合い、野菜のビタミンを増やしたり、温かいものをそのまま保存したりできる機能を採用するなど、さらに進化していきます。 |