◆昭和24(1949)年
槽内中央のかく絆棒を回して洗濯する、かく絆式洗濯機が発売されました。 |
◆昭和27(1952)年
振動式洗濯機が発売されました。振動式は、振動発生装置により水の共振作用を利用して洗濯する方式で、布傷みの少ないという利点がありました。翌年の昭和28(1953)年には、噴流式洗濯機が発売されました。噴流式は、底にある平たい凹凸のある皿が回って洗濯する方式で、機構がシンプルで洗濯時間が短く、かく絆式に比べ半値に近い価格だったため、主婦層の好評を得て普及しはじめました。 |
◆昭和29(1954)年
脱水機付き洗濯機が発売されました。この頃の脱水機は、洗濯機の側面にゴムのローラーが上下2本あり、そのローラーに洗濯物を挟み付属のハンドルを回して水を絞りました。青函連絡船「洞爺丸」が転覆し、タイタニック号に次ぐ世界海難史上 2番目の惨事となったのもこの年でした。 |
◆昭和34(1959)年
単体の遠心脱水機が発売され、これにより脱水機の機能が一般に認知されるきっかけとなりました。この年には日本レコード大賞が始まり、第1回の大賞受賞曲は、水原弘が歌った「黒い花びら」で、大流行しました. |
◆昭和35(1960)年
ローラー式に代わって遠心脱水機付2槽式洗濯機が発売され、洗濯機能と脱水機能の一体化が実現しました。 |
◆昭和40(1965)年
それまで全自動洗濯機は、かく枠式もドラム式も温水による洗濯が前提条件でしたが、水で十分に洗濯できるようにパルセーター(回転翼)の形状を工夫した全自動洗濯機が発売されました。この年、東京上野の東京国立竈博物館で「ツタンカーメン展」が開幕し、期間中に100万人以上の入場者で賑わいました。 |
◆昭和47(1972)年
洗いからすすぎまでを自動化した自動2槽式洗濯機が発売され、2年後の昭和49(1974)年には脱水しながらシャワーで泡を取るなど工夫された節水タイプの全自動洗濯機が発売されました。 |
このように洗濯機は戦後、急速に進化しましたが、その後、乾燥機付き全自動洗濯機が主流となるのは、ずっと後のことです。 |
洗濯機は、昭和50年代に入ると、さまざまな洗濯コースを選べるようになり、また、省エネ・節水・騒音などへの配慮もされるようになりました。 |
◆昭和52(1977)年
従来の機械式タイマーをマイコン制御に変更し、10通りの洗濯コースが選べる全自動洗濯機が発売されました。また、洗濯機の上に衣類乾燥機を設置する専用スタンドが一般化し始めたのもこの年です。 |
◆昭和54(1979)年
まとめ洗いができるよう大容量化のニーズに応えた洗濯容量4.2kgの大型2槽式洗濯機(当時は2kgが中心)や、洗濯方法を使い分けられる手動。自動セレクト式洗濯機が発売されました。 |
◆昭和55(1980)年
通常の大型洗濯槽の他に、子供服や靴下などの小物が洗えるリトル洗濯槽を備えた3槽式洗濯機が発売されました。この年は、ツービート、B&B、紳助・竜介、ザ.ぼんちなど、さまざまな芸人が登場し、「MANZAI」ブームが起きました
。また、「コマネチ」「紅葉饅頭」など、多くのギャグや流行語で日本中が笑いに包まれました。 |
◆昭和57(1982)年
布傷みや洗いムラを減らしたり、からみを防止したりできるようパルセ-ター(回転翼)の取付位置や形状を改良した機種が発売されました。この年、カード式公衆電話が設置された他、国鉄(当時)が企画し、上原謙。高峰三枝子が登場した「フルムーン」のCMが話題になり、熟年夫婦の旅行が増えました。 |
◆昭和59(1984)年
今では当たり前になっている風呂水自動吸水ポンプ付き全自動洗濯機が発売されました。また、洗濯容量5.0kgの全自動洗濯機が発売され、自宅で毛布やカーテンなどの大物も洗えるようになりました。 |
◆昭和62(1987)年
2槽式洗濯機とほぼ同じ幅で全自動洗濯機と衣類乾燥機が一体になった乾燥機付き全自動洗濯機が発売されました。 |
◆昭和63(1988)年
布量にあった「水位」「水流」「時間」を自動的に選択して自動運転する布量センサーを採用した全自動洗濯機が発売されました。この年、着工から24年の歳月をかけた青函海底トンネルや瀬戸大橋も開通しています。 |
このように昭和5年に登場した洗濯機は、昭和の後半にかけてマイコン制御や大型化、洗濯。脱水の一体化が進みました。そして現在では洗濯容量9kgの機種も登場し、洗濯乾燥機も普及し始めるなど、時代のニーズに応えながらさらに進化し続けています。
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